2010年12月17日

ポノポノ撮影会、写真集!


  

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2010年12月13日

理事長の選挙報告!









昨日12月12日、茨城県の県議会議員選挙と稲敷市議会議員選挙がおこなわれました。

―皆様にご報告で〜す―

ポノポノクラブの高野理事長、再度、稲敷市議会議員に当選されました。
おめでとうございま〜す(;∇;)/~~

「皆様のために、ますます頑張ってまいります」とご挨拶しておりました。

応援していただいた皆様本当にありがとうございました\(^ー^)/

ポノポノクラブもこれからも何とぞよろしくお願い致しま〜す。
!(b^ー°)

  

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2010年12月11日

うんとこしょ、どっこいしょ!

うんとこしょ q(^-^q)
どっこいしょ o(^o^)o
うんとこしょ q(^-^q)
どっこいしょ o(^o^)o

「ママ、僕すごいでしょ!」

うんとこしょ q(^-^q)
どっこいしょ o(^o^)o
うんとこしょ q(^-^q)
どっこいしょ o(^o^)o

「アンパンマンより、強いんだ!」

「ママ、見て!見て!僕、すごい?」


私達夫婦が結婚して12年。待ちに待って、この世に生まれたのが、息子の桂太。

嬉しくてたまらなかった時に、医者から告げられた病気が、先天性心不全。

移植をしない限り、このままでは、五歳を向かえられないと医者から告げられた。・・・また、移植の可能性もゼロに近いことも。

私達は、神様を恨んだ。何故、この子なのと・・・。

それから、5年が過ぎた。

桂太の心臓は、桂太の身体を支えられない状態になってきた。

しかし、桂太は、明るかった。常に身体は酸欠状態に陥り、辛いはずなのに。

「ママ、僕ね、大きくなったらアンパンマンになるんだ。」
「泣いていたり、いじめられている子がいたら助けてあげるんだ。」

「だから、ママも僕が守ってあげるね。」

我々夫婦が決めたことがある。

それは、桂太の前では、涙を見せない。常に明るく、楽しく振る舞うこと。

だから、例え、桂太が苦しそうな顔をしたときでも、不安がらせないように、笑顔で身体をさすってあげた。

また、桂太の前では、絶対に人の悪口を言わない。怒らない。喧嘩しないことだった。

その甲斐があってか、桂太は大変な病気を持ちながらも、いつも笑顔だった。

私達は、そんな桂太が生きた軌跡を残そうと、色々な桂太をビデオに記録した。
そして、桂太は、
5年と3ヶ月で、短い人生を終えた。

うんとこしょ q(^-^q)どっこいしょ o(^o^)o
うんとこしょ q(^-^q)どっこいしょ o(^o^)o

「ババ、僕は、バイキンマンも大好きだよ。だって、本当は寂しいだけなんだ。だから、僕がお友達になってあげるの。」

うんとこしょ q(^-^q)どっこいしょ o(^o^)o
うんとこしょ q(^-^q)どっこいしょ o(^o^)o

「パパ、ママ。大好き!
いつも、いつも、一緒だね。」

私達は、難病を持っていても、また、死を宣告された家族でも、幸せに五年間過ごせた事を知って欲しくて、告別式にこの映像を流した。

「桂太ちゃんは、世界中の沢山の夫婦から、あなた方夫婦を選んで、生まれたんだね!」


私達は、はっとした。そうなんだ。桂太は、わざわざ私達を選んで生まれてきたんだ。

それも、最高の幸せを私達に与えるために。

この5年間、本当に幸せだった。

確かに、最初は神様を恨んだり、他人を羨んだりした。

しかし、そんな思いは、すぐに桂太との日々の生活の中で何処かに飛んでいってしまった。

もし、桂太が生まれて来なかったら、私達はこの幸せを手に入れることができなかったのでは・・・。



「臨時ニュースを申し上げます。今日、午後3時20分、港区品川駅の構内で小学生一年生を殺害したと思われる、中学二年生の男子生徒が逮捕されました・・・
  

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2010年12月09日

セルフカウンセリング

もし、貴方が本当の自分と出逢いたいと思うのならば
『遺書』を書いてごらんなさい。

明日死んでいく自分と向かい合いながら、
「どんな人生を送り」
「どんな人と出逢い」
「何を夢見てきたのか」
沢山の感動と出会うことでしょう。


もし貴方が、自分の生きている意味がわからなくなったのならば、

『墓参』にいってごらんなさい。

墓の前で、貴方の父、母に対して・・・例え、今、生きていたとしても・・・思い切り「怒り」や、「愚痴」をぶちまけてごらんなさい。
必ず、大切なあなたの存在を教えてくれるでしょう。

もし、貴方が『夢』を見失ったら、

「自分の死」を想像してごらんなさい。

あなたの「墓石」に何て刻まれたいのかを、真剣に考えると、勇気が湧いてきます。

もし、貴方がお金に困ったならば、

「一番お金を貸してくれそうにない人」のところにいってごらんなさい。


「本当に必要なお金」とはなんなのかを教えてくれるはずです。


もし、貴方が、「病気」で苦しんでいるなら、

貴方が今、一番気になっている人に会って、本音で話してごらんなさい。


まるで今までの状態が嘘のように、「病気」は治っていくことでしょう。


もし、貴方が「寂しさ」に毎日、涙しているのなら、

小さいときの自分の写真を取り出してごらんなさい。

写真のあなたが、今まで頑張ってきたあなたに最高の「笑顔」を与えてくれるはずです。

もし、あなたが、心から
「生きている幸せを感じたい」と思うのであれば、

『ポ・オボノボノ』と、どんな時にも唱えてごらんなさい。


必ず、貴方の近くで感動で涙が止まらない程の不思議な出来事が起こりますよ。


もし、貴方が「人の暖かみを感じたい」と思うのなら、

目をつむって、貴方の両腕で貴方自身をしっかり、抱き締めてあげてください。
一番にあなたを支えているのは、貴方の身体なのだから、「有り難う!」「有り難う!」と言いながら。

これを繰り返していると近いうちに、貴方を心配している人達に抱き締められることでしょう。



貴方は、

貴方の大切な人達と

貴方自身の足で、

この母である大地に

立っている事を、

感じてください。

大地のエネルギーを

貴方の足の裏で、

感じてください。

全てに感謝。

ありがとう!
  

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2010年12月07日

皆が社会の被害者なんだ!続き

直人は、重い口を開き始めた。

父親の会社が倒産し、家族で逃げ回っていた事。
父親が、首を吊って自殺したこと。

母親が夜の仕事をはじめて、自分の家に殆ど帰らなくなったこと。

今は、祖母の家にいるのだが、借金取りが、いつも嫌がらせを行うお陰で、近所中から白い目で見られていること・・・。

直人も昔の関係を思い出したように話をした。

そんな時に、吉田達が近づいてきた。

「直人。俺の金を返せよ!」
「それが出来ないのなら、今から、俺達と一緒に来い!」
直人は、吉田達の後を着いていった。

「直人、いいか、俺達がカバーしてやるから、このデジカメを鞄に入れて外に出るんだ。わかったな」

直人は、言われたままに行動をして、店の外に出た。
「いいか、今度は、ゲームソフトをとって来てくれ。此が上手くいけば、お金は、なかった事にしてやる。」

今度は、直人が一人で店に入り、急いで目当てのゲームソフトを 鞄に入れると店の外に出た。

その時、店員らしき人に直人は呼び止められ、店の奥に連れていかれた。

「どんくさいヤツや!帰るぞ。」
吉田はそう言うと、家に戻り始めた。
「まあ、三万円のデジカメが手に入ったんだから、今回はよしとしてやるか。」
次の日、吉田がまた、直人を屋上に呼び出した。
「直人、昨日は、お前のお陰で助かったよ。ただ、ゲームソフトがまだだよな。今日頼むよ。」

その時だった、いきなり直人が吉田に掴みかかった。すぐさま、仲裁に入ったが、あまりにも必死な直人を引き離す事は、出来なかった。
揉み合いの中、僕たちは、バランスを崩し、屋上のフェンスに倒れかかっていった。
その拍子に、直人と僕の体は、フェンスの外に投げ出され、直人の半身が外にはみ出た状態になった。

「直人、大丈夫か。手を離すなよ。今、引っ張りあげてやるから。」

「また、会えて良かった!」
そういった瞬間、直人の体が宙をまった・・・。

その後の事は、覚えてはいない。

ただ、警察の事情聴取の時に、直人に対してのいじめグループの一員で頻繁にいじめを行ったり、万引きをしたりしていたこと。
直人を屋上から突き落としたことなど、言われるままにうなずいていた記憶がうっすらとあった。

僕にとってそんな事はどうでもよかった。

唯一、僕に助けを求めようとした直人を僕は、逆に死なせてしまった。

この事実は、誰が何と言おうとも消えないのだから。

そして、僕はいつも考える。

なぜ、こんな結末になってしまったのだと。

僕が弱かったから?

直人のお父さんの会社がつぶれたから?

小山先生が真剣に考えてくれなかったから?

今だに僕はわからないでいる・・・。
  

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2010年12月07日

皆が社会の被害者なんだ!

今、僕は、自分自身がこの世からいなくなればよいと思っている。

かといって少年院の中では、死ぬことすら出来ない。

決められたスケジュール通りに、毎日をこなしながら、ただ、ただ、何故自分が友人を死に追い込んだのかそればかりを考えていた。

死んだ直人は、幼稚園時代からの親友だった。家が隣どうしだったこともあり、いつも二人で遊んでいた。
しかし、僕達が小学校3年生の時に、直人のお父さんの会社が倒産し、直人の家族は、夜逃げ同然に何処かに引っ越していった。

直人と再開したのは、中学校の入学式の日。
「早く拾えよ、ナオムシ。」教室に入ると、一人の生徒を数人が囲んでいた。

囲まれた生徒を良く見ると、なんと、直人だった。

直人は、床に散らばった足跡だらけの教科書をスーパーのビニール袋に必死で入れていたのである。

我々、二人は奇しくも、クラスメイトとして再開したのだが、前のように話す事はなかった。

なぜなら、直人は、クラスメイトの多くから、イジメにあっていて、少しでも親しい振りをしたならば、自分にも危害が及びかねないからだった。

また、担任の小山先生もクラスをまとめる為の必要悪としてその行為を見て見ぬふりをしていたのだった。

そんなある日、ある事件が起きた。体育の時間を終え、教室に戻って着替えていると、吉田が「俺の一万円が無い。」学校が終わったら、ゲームソフトを買うために持ってきたお金らしい。吉田は、直人いじめの中心人物である。

担任の小山先生より、自分と直人を含む五人が一人づつ呼び出された。

「吉田から、事情を聞いた。着替える前は確かにあったそうだ。もし、何か知っている事があれば教えて欲しい。」

「先生、僕は何も知りません。確かに、最後に鍵をかけたのは、僕ですが、その時には、もう教室には誰もいませんでした。」

「そうか、では、前の三人は、須藤直人が吉田の机の近くをうろついていたといっているのだが、それについては、何か気付かなかったか。」

直人は、着替えを終えてすぐに教室を出たこと。また、残りの三人が吉田の机を囲んで何かはわからないが話していた事を僕は先生には話せなかった。

「僕は、鍵を持って教室の外で待っていたので、わかりません。」

「そうか、では教室に帰っていいよ。すまないが、須藤を呼んでもらえるかな。」

その後、小山先生が直人に何を話したかは、わからないが、直人はその後、体調がすぐれない理由で先生に付き添われて家に戻った。

それからの吉田を含むメンバーの直人に関するイジメは輪をかけて激しくなった。そして、僕自身も例の三人からの誘いもありいつのまにか、イジメグループに入らされていた。

押しピンを椅子の下に仕込んだり、ロッカーにゴミを入れたり、落書きをするのは、日常茶飯事でクラスメイト達も始めは見るに見かねて小山先生に報告をしていたが、そのうち、自分達にも被害が及ぶ事を恐れて何も言わなくなった。
また、日常の雑務や部活、授業の準備等におわれている小山先生にとっても、直人の存在は非常にお荷物だったのはなかったのかと思う。

しかし、やはり自分の中でモヤモヤと罪悪感がたまり、ある時、授業の後に直人を屋上に呼び出した。

「直人、こうやってお前と二人で話すのは、中学に入って初めてかもしれないな。」
「まずは、お前に謝りたい。吉田達のグループに入ってはいるが、本心ではないんだ。吉田達が恐くて、どうしても誘いを断れないんだ。許してくれ。」

「しかし、いったい何があったんだ。昔のように話をしてくれないか。」

続く
  

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2010年12月06日

高野理事長、出陣式写真集、その2!


  

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2010年12月06日

高野理事長、出陣式レポ!

12月5日日曜日
高野理事長、自宅前の駐車場にて

本日、お天気に恵まれ、高野理事長の稲敷、市議会議員選挙の出陣式がおこなわれました。高野さんは、稲敷市の市議でもあるのだ。
助手もいざ、会場へ・・・
しかーし、警備員のおじさんに誘導され、相変わらずの遅刻ぎりぎり。
助手、実は、稲敷市に6年ぐらい住んだことあり。
懐かしい、住民や一緒に働いていた、お仲間にも会えました

それは、さておき、始めの言葉に近隣の議員さんの応援挨拶、祝電等あり、いよいよ、我らが理事長、高野 きよしの出番ですよ!
助手も緊張のため、要点だけね!

高野理事長、いわく、教育の面では、やはり、少子化のため、子供達が少なく、小学校の統合をしていくため、挨拶運動などで大人の皆さんの協力が必要なこと。

次にパートピア稲敷を始め、障害のある方の自立支援をしていく問題。

米どころ、稲敷市。
農業問題として、今、農家をされている平均年齢が65歳ぐらいらしい。
後継者、不足なのだ。そうだよね!今の時代、若い人は、よそで働くのが当たり前になっているよね!
稲敷市の農産物のブランド化等で盛り上げていきたいと弁じていました。
そうだ!助手の記憶によると、無花果が有名だったかな?

あと、一番の問題は、高齢化。
とくに稲敷市は、高齢者が多く、介護状態の方が、施設に入るのに百人以上が待機状態。
でも、介護するばかりでなく、そうならないためにも、健康作りは、必要。そのため、高野さんは、ポノポノクラブの理事長も務めているのだ。

稲敷市は、もちろん。つくば、龍ケ崎、土浦、遠いところで潮来やひたちなかまで、ポノポノクラブを広げています。

そうだよね。稲敷市だけの問題ではなく、県南すべての問題だよ!
行政とタイアップしていきたいとのことでした。

最後に、稲敷市民、近隣の関係者、ポノポノクラブのメンバー皆でがんはろうコール
腰に手をあて、がんはろう!がんはろう!がんはろう!と3回、大声、あげて景気づけです。
実は、いつもの定番なんですわ
女性陣の黄色い声も上がり、大人気の高野理事長さんでした。

つたない文章、誤字、脱字があったらごめんなさいね。

高野 きよしの演説に皆様の心になにが響きましたか?

助手より。
  

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2010年12月05日

高野理事長、出陣式、写真集!


  

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2010年12月04日

「ありがとう!」あなたの息子で・・・。

「家に帰りたい・・・」

親父から、弱音を聞いたのは初めてだった。

親父は、6人兄弟の四番目。早いうちに父親を癌でなくし、三人の兄がいるにも関わらず、なぜか親父が家族を支える為に進学を諦め働きに出た。

そして時は過ぎ、兄弟達が皆、巣だっていった。

やっと親父も安心して自分の家庭を持つためにお見合いをした。

そして、待望の子供が宿った。しかし、その娘は、死産だった。

そしてすぐ、また子供が宿った。この時のお産も、同じように死産の様相を呈していたが、子供の生きようとする気力が勝ったのか、奇跡的に産声を上げた。

しかし、『人間万事塞翁が馬』。

そんな幸せな矢先に、今度は、母親の癌が見つかった。

兄弟で誰が面倒を見るか、話し合いが持たれたが、誰も経済的な面や、姑との関係を嫌って、引き受けようとしなかった。

そんな兄弟達の会話を聞きながら、親父は、ただ、
「俺の家に連れていく。」
と一言だけ言うと、母親を連れ自宅に戻った。

「苦しい思いをしながら、我々兄弟を育ててくれて、最後ぐらい、最高な医療を受けさせたい。」
と、多額の借金をして母親の最後を看取った。

母親が亡くなった後、兄弟達は、不動産の取り合いになった。

親父は、母親からの遺言により、その不動産を引き継ぐことになるが、それがきっかけで兄弟達から離縁のような扱いを受けるようになった。

しかし、親父はいつも口癖のように、こう言うのだった。

「いつでも叔父さん、叔母さん達やその家族達が気持ちよく帰ってこられるような家にしておこうな。親から預かった大切な家なのだから・・・。」


そんな、兄弟たちも金に困ると、いつも親父に相談をしてきた。そんな時も、親父は、嫌がるお袋を説得して、なけなしのお金を渡すのだった。

時がたち、社会に巣だっていった私自身も親に迷惑をかけ続けた。

離婚、倒産、多額の借金。
ありとあらゆる問題を起こしては親に心配をかけた。

私が途方にくれて自殺すら考えていたそんな時に、親父から急に電話が入った。

「ちょうど仕事で東京にいくから、昼飯でも食べないか?」
といった内容だった。

いつも無口な親父だったから、会って食事をしていても、特に何も言わず黙々と食べるだけだった。

食べ終わって、気まずくなったその時に、親父は、急に鞄から封筒を出して私に渡した。

「少ないけど、好きに使え、ちょっとトイレに行ってくる。」

その封筒には、シワだらけの一万円札が100枚入っていた。
親父が、苦労をして貯めたお金であることはすぐにわかった。

涙が止まらなかった。

親父は席に戻るとそのまま、「もう行くから。」と歩き出した。
私は顔をあげられないまま「親父、ありがとう。」と言った。
後ろ姿の親父も辛そうだった。

それからは、私の人生は変わった。今までの逃げ回ってばかりいた自分が、一つ一つに真剣に取り組んでいった。

そして、また、全てが好転しかかった時に、親父の癌が告げられたのだった。

親父は、癌治療をしながらも二年間働いた。
いや、辞めたかったのだが、社長にどうしてもと頼まれてなかなか辞められなかったといった方が正しい。

そして、その後手術。
仕事も社会的な責任もしっかりと引き継いだ後、最後の自分の選んだ選択に取りかかったのだ。

親父はそれから、全ての時間を癌治療に注いだ。自宅から片道、三時間の通いながらの抗がん剤治療を一年以上も続けた。
普通の人間なら、すぐに投げ出したくなることでさえも、文句一つ言わず、親父は続けた。

そんな努力も虚しく、体は日に日に弱っていった。

そしてここ数ヶ月間、何度も危険な時期を迎えるのだが、必ず、それを乗り越え、戻ってくるのである。

しかし、今回だけは違った。
急に母親に呼ばれて、病院にいった時は、また、話せる状況に戻っていた。

「今日は、直ぐに東京に戻るね。」
と親父と握手をした時、今までにない強い力で、私の手を握り返した。
それも長い時間。

まるで、『母親を頼む』と言うばかりに・・・。

そして、その一週間後、再び、私は母親から呼ばれた。

そして、病室に着いた時は、ほとんど息をしていない状態だった。

「親父、しっかりしろ。俺がわかるか。」
と体を揺らした時、親父は、少しだけ目を動かし、喉と唇を振るわせた。

その後、いきなり、心臓の異常を示す機械の音が、病室中に響き渡った・・・。

「親父、やっと家に帰れたね。」

「お袋に、『車は直ぐに乗れるように、エンジンをかけとけ。』とか、『年賀状は俺が書くから、印刷しとけ。』とか、お願いしておいて・・・これはないだろ・・・。」

「しかし、相変わらず、お袋は能天気で、『私はわからないから、全部お前がやれ』だって。」

「これじゃ、親父も死ぬに死ねないよな・・・。」

「親父。最後の言葉は、忘れないよ。本当は、『母親を頼む』と言いたかったんだろ?」

「でも、親父は俺に『ありがとう!』て言った。」

「それも、東京から俺が病室に着くまで、必死で待ち続けて・・・。」

「親父らしいよ!最後の最後まで、親父そのものだよ!」

「だから、・・・。」

「ありがとう親父!」

「ありがとう!」

「あ・り・が・と・う!」

あなたの息子より
  

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2010年11月30日

あたしと母と五角形!

助手です。
何だか、酒と涙と男と女みたいなタイトルになってしまいましたね
今日は、五角形のお話でも・・
でも二回ほどしたばかりで、知識は、ないですよ。
しかーし、二回目の時、形が変わっていました。
それは、なぁ〜んでか?
助手のひとつの趣味に健康ランドと大衆演劇観劇というのがあり。随分、前から母を誘っていたのですが、ぜ〜んぜん、ついて来る気配なし。
しかーし、最近、ついて来たんですよ!
お風呂は、恥ずかしいとかなんとか、言ってたのですが、入ってみれば、天然温泉を引っ張っていたり、ハーブバスやらミストサウナやら、ジャグジーと色々あって、楽しいし、おまけに笑って泣いての演劇に、豪華絢爛舞踊ショーでは、はまります。
最近では、行動を共にしちゃったりして・・きっと、これが、五角形の形が少し、変わった原因ですかね?
ほんとはさぁ、お風呂で、母の背中でも流せばいいんだろうけど、こっぱずかしくて、まだ、やってましぇ〜ん。
実行すると、ますます、五角形、変わるんだろうけどね。
助手より。
  

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2010年11月29日

ポノポノクラブ第三講座レポ!

11月28日日曜日
今日もながみねふれあいセンターにやって来ました。
ちょっとした、ハプニングあり。なんと部屋、取り忘れちゃって、ありゃ〜。どうすっぺ!と思いましたが、ちょうど、いつもの部屋が空くということで大丈夫でした
今日のテーマは、腸なんです。
今日の講師を務めるインストラクターさんは、石原さんです。
助手は、お初なんです。
スーツ着てましてカッコイイんですわ。おまけにハスキーボイスでっせ!毎回、こんなん書いちゃて、助手を変なもんだと思わないで下さいね!
いきなり、先週の五角形の復習をします。とか言われちゃって聴いてないよ!
前に復習したものが、あったので、それを見い見い、答えてる始末ですんません。そらで早く覚えたいと思います。
石原さん、いわく、医学は、どんどん進歩している。しかーし、開業医を含め、病院は、どんどん増えている。患者さんは、とりあえず、病院に行く。
とりあえず、病状は、一旦、和らぐが、副作用が出て、どんどん、薬は、増えていく。なるほど・・
そうだ、ミトコンドリアとか、腸内細菌の話し、定番のりんごの木の話しもありますよ!いきなりですが、ヨーグルトって何だろう?悪いもんでは、ないらしいいんだけど、密かに助手は、少しづつ食べるのを減らしているのだ。
最近、レポと言うより、自分の感想だね。
最後にお初、ハスキーボイスの石原さんにインタビューどうしてポノポノの講師をしているんですか?と聞いてみたら、こうしていたいからです!なんて、変なダジャレでかわされちゃって
外に出てまで受講生に質問してました。
きっと楽しい人なんだろうね
あなたもポノポノクラブに話しを聞きに来ませんか?
助手より。
  

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2010年11月29日

ポノポノクラブ写真集!

11月28日日曜日
ながみねふれあいセンターにて。
  

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2010年11月22日

ポノポノ写真集!

11月21日日曜日
ながみね ふれあいセンターにて
  

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2010年11月19日

11月19日の記事

みなさん おはようございます!!

散歩をしていたら 朝日が当たってとてもキレイなを発見!

いよいよ冬が近づいてまいりました。


みなさん体調にお気を付けてください。
  

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2010年11月18日

陽だまりクラブ続き

妻は、私の顔を見ると、
「お父さん、本当に今までお疲れさまでした。そして、お父さんの苦しみを、少しも理解してあげられなかった私を許してください・・・。」

私は、妻の前で初めて泣いた。それも、何のためらいもなく、泣きじゃくった。
こんなに泣いたのは、子供の時以来のような気がする。
そんな、私をみて妻は、
「お父さん。お父さんは、まだまだ神様から必要とされているんよね。だから、こうやって生きとる!」
「だからもう、今までの私たちは、死んだものとして、新しい道を歩こよ。」
「家も何もかも売って、どこか田舎にいって、私たちがやりたいように毎日を送りましょ。」

私は、妻の言葉を聞きながら、この妻がいたから、今の私がいることを実感した。
また同時にだからこそもう逃げてはいけないと思った。

「ありがとう。お母さんの気持ちは実に嬉しいよ。でも、私はこの町を離れない。お母さんと娘との思い出が詰まったこのまちを!」

「おれは決めた。明日から、町中の人に謝りに歩く。何を言われようが、石をぶつけられようが、理解してもらえるまで何度も歩き続ける。もう逃げることに疲れた・・・。それよりも自分の力で生きてみたい。」
「お母さん!心配はいらないよ。」
「こう見えても、私は、『何度断られても仕事がとれるまで足を運ぶめげない営業マン』で有名だったのだから。」

「じゃ、私もお父さんと一緒に歩くわ。」
「だって、今、お父さんの言った事が本当かどうか確認しなければならないからね。」

私たちは、それから毎日のように、一軒一軒訪ねて歩いた。
あれだけ、私たちに冷たかった方々が、私達が訪ね、丁寧に謝りに歩いている事を知ると、不思議と快く受け入れてくれた。

それから、一週間、1ヶ月と月日が過ぎていく内に、家に近所の方々が、遊びに来られるようになった。

私達は、思いきって一階を広いリビングに改装し、落ち着く椅子とテーブルをいくつも置いた。
家内は、朝からいくつもパイやケーキを焼いて、今日のお客様を楽しみに待った。

そして、我が家は、笑いの絶えない、街の人の憩いの場となった。

そして、入り口には、いつの間にか

『陽だまりクラブ』

の看板が掲げられていた。
  

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2010年11月17日

貧乏神ポノポノ

昔々ではなく、これは現在のお話。
あるところに貧乏神のポノポノがいました。彼が住み着いた家は名前の通り、全くお金に恵まれないのですが、不思議に笑いの絶えない家になるのです。

ある時、太郎が家の中で走り回っていて、お爺ちゃんの大切な壺を割ってしまった時も、太郎がお爺ちゃんに謝ろうとすると、姉の芳子が、
「太郎が悪いのではなく、私が太郎を遊んであげられなかったからなの。」
というと、今度は、お母さんが、
「いいえ、芳子が悪いのではないのよ。お母さんが、太郎にちゃんと言い聞かせなかったからなの。」
それを聞いてお父さんが、「いいや、お母さんは、食事の仕度をしていたのだから、お母さんのせいではないよ。お父さんが、もう少し、仕事から早く帰って太郎と遊んであげられていれば、こんなことは起きなかったのだから。」
今度は、お爺ちゃんが、「いやいや、こんな所に壺を置いていた、私が悪いんじゃ。太郎や芳子やお父さん、お母さんのせいではないよ。」
というと、思わず皆で顔を見合わせ笑ってしまうような家なのです。

また、昔からポノポノは小さい子供の子守り役でもあったのです。いつも、太郎が泣いていると、貧乏神が下手くそな子守唄を歌ってくれるのですが、太郎にとってそれがとても落ち着くのでした。

そんなある日、この家の立ち退きの話が持ち上がりました。町の再開発で、信じないない高額で町が買い取るというのです。

100年以上も歴史を持つ、この家ですが、やはり、お金の誘惑には勝てず、話し合いの結果、売ることにしたのです。

まずは、借家に移り、新しい家の計画を家族全員で話し合うことにしました。しかし、この話し合いは、なかなかうまくいきません。あれほどまでに仲のよかった家族が、自分の主張ばかりして、みな疲れはててしまいました。挙げ句の果てに、夫婦、親子全く口を利かない日が何日も続きました。

そんな時に、急に太郎が大泣きをしながら、
「僕、前の家がいいよ。ポノポノのところがいいよ。」

それを聞いてお父さんが、「ポノポノ?・・・そうだ、俺が小さいとき良く、ポノポノの子守唄を聞いて安心して寝たもんだ。」
そしてお爺ちゃんまでも、「私もそうだった。夜中に真っ暗いトイレに行くのが怖くて泣いていると、ポノポノが優しく手をひいて一緒にいってくれた。そうか、今もポノポノは、私たちのそばにいて、見守っていてくれていたんだ。そんな思い出いっぱいの家や守り神のポノポノを我々は、粗末にして・・・。」

今もこの家は、相変わらずこの町のビル群の中にあります。しかし、自殺や事件の話しばかりが飛び交うこの町の中で、この家だけは笑いが絶えず、いつも沢山の町の人達が訪れる憩いの場所になっているのです。
あなたの家に貧乏神ポノポノは、いますか?
  

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2010年11月15日

朝礼参加

朝礼で有名な居酒屋さんに朝礼から参加して今楽しく飲んでいます。

噂以上で モチベーション 上がりました!


でわ また!!
  

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2010年11月15日

奥久慈の“秘像”なんちゃって!

「秋 満喫!」 天気もよくほんとに気持ち良かったわ!
皆さーん!いつまでも自分の足で歩き、美味しいものをいただける幸せは自分で確保するしかないのですよ~~!ねっ!
誰でしょう?昼からビールがあたりまえのように絵になっているのは!  横張事務長は魔法使いかな~と思ってましたが、このあと呪文をかけてました・・・石原インストラクター父だったんだ~(笑)

ポノポノ レポ隊より
  

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2010年11月14日

本日、第一回目講座!

11月14日 日曜日ポノポノクラブ 第一回目講座 ながみねふれあいセンターにて
久しぶりのポノポノ講座です。今日は、始まる前に体験の方もいるので、ちょっと話しを聴いてみました。何やら、椎名先生のお誘いらしい。ちょっと聞いてみない?と誘われたけど、めんどくさぁ〜と思ったらしい。
だけど子供たちに話したら、お母さん、ボケ防止のために勉強して来なよ。と言われたらしい・・なるほど。そういえば、助手も台所に行って、何を取りに来たのか忘れる時があってヤバいは、これは・・今からでも遅くない!
他にも五角形をインストラクターの方にやってもらって興味を持った方や、椎名先生にいきなり、お誘いの方もいて今日は、女性陣が多く華やかですよ。
前にもレポしたけど助手は、第一回目のオリエンテーションは、聞いていて、たぶん、あなたは、病気は、自分にとって、敵か見方か?っていう話しだったよ!
今日の受講生は、頭がいいんですわ。前回、助手は、敵の方に手を上げていました。
久しぶりの第一講座。今日は、新たに腰、回し運動?やら、永瀬インストラクターのいい話しもあり。集うっていうことは、こういうことなのね!
あなたもポノポノクラブに話を聞きに来ませんか?
助手より。
  

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